世界初の立体音響を実現するヘッドフォン専用音楽 渋谷慶一郎『filmachine phonics』

国内外の電子音響作品を紹介するレーベルATAKを率い、自らも先鋭的な作品を発表し続けているアーティスト、渋谷慶一郎さん。そんな彼がヘッドフォンで聴くことにより立体音響が実現されるCD『filmachine phonics』をリリース、そのプレミア試聴会として去る2月にApple Store GinzaおよびShinsaibashiにおいて、観客全員にiPodを渡してその場で立体音響を体感してもらうというイベントを開催しました。そのイベントの主催者でもあったサウンド&レコーディング・マガジン編集長の國崎氏をインタビュアーに迎え、渋谷さんに“ヘッドフォン専用音楽”の魅力について語ってもらうことにします。

─なぜ、ヘッドフォン専用の音楽を作ったのでしょうか?

去年の8月から10月にかけて山口情報芸術センター (YCAM) で「filmachine」というインスタレーション作品を東京大学の池上高志さんと発表したのがきっかけです。「filmachine」は音の膜(film)と構造を生成するもの(machine)という意味の造語で、24個のスピーカーとHuronという建築音響用の装置を使って仮想の音空間を作り出し、その空間の中で“30m向こうから音が自分に向ってきて突き抜ける”とか“コップからこぼれた水がまたコップに戻るように音が下降・上昇する”など、現実にはあり得ない音の運動を使った音楽を作ったんです。当然、それは通常のステレオでは再生できない。特に音が縦に動くというのは不可能なので、インスタレーション用に作った音楽をCDとして発表するにはどうすればいいんだろうと思っていたんです。そんなときに、松下電器のパーソナルサラウンド・テクノロジーを紹介され、これを使えば音の縦方向の動きも含めた三次元の音楽がヘッドフォンの中で再現できるなと。

─そのパーソナルサラウンド・テクノロジーは、どのようにしてヘッドフォンで立体音響を実現しているのですか?

まず、人間の耳に仕込んだ特殊な測定用のマイクを使って、空間の音響特性をデータ化するんです。今回の場合だったら24個のスピーカーの1つ1つからテストトーンを再生して、それが耳にどのような周波数特性で到達するかを解析し、コンピューターの中でその特性を再現するためのフィルターを作る……右斜め上から鳴る音はこんな特性になる、という感じですね。そうやって全部のスピーカー分のフィルターをコンピューターの中で作って、それぞれのスピーカーへと送っていたオーディオ信号にそのフィルターをかけるというプロセスです。そして、そのフィルターを通ったオーディオデータをそのまま、というのではなくヘッドフォン専用作品として最適な状態にするために、コンピューターの中でさらに精密に加工・編集しました。

─iPodのヘッドフォンでも立体音響になるのですか?

ええ、ヘッドフォン専用と言っても特別なヘッドフォンが必要なわけではありません。iTunesやiPodに読み込めば、どんなヘッドフォンでも立体音響が体験できます。

─立体音響を前提として作曲する場合、通常のステレオ用と何が違ってくるのでしょうか?

『filmachine phonics』では極度に高密度で偏りを持った複雑な音色とリズムが重要で、それは縦方向の音の動き……つまり三次元で作曲するとすごくフィットするんです。ちょっと古い言葉で言うとグルーヴするというか、リズムが持つフィジカルな快感があるんですね、しかも聴いたことがないような。

─確かに『filmachine phonics』を聴かせていただくと、通常の音楽とは全く質の違う要素でリズムが構築されていますね。

これは人間の知覚の問題と密接で、普通、ビートのような周期性のある音が人間にとっては気持ち良くて、非周期的なものは複雑過ぎて気持ち良くないと思われていますが、例えばビーチで波の音を聴いて気持ちいいなと思うとき、波の音に周期性は無いですよね?すごく複雑なゆらぎというか非周期的な反復が起きていて、それを気持ち良いと感じている。これは波の音がステレオの2つのスピーカーから鳴っているのではなくて、実際にそこで起きている……波の運動と音が言わば三次元の立体音響として聴こえるから気持ち良いわけです。つまり周期的な反復が気持ち良いと感じるのは二次元的な、2つのスピーカーによる再生の特徴です。でも、『filmachine phonics』ではヘッドフォンの中で三次元の空間を再現しているので、2つのスピーカーと周期的な反復という制約から自由です。これは例えば3曲目の『CA_r18』で聴けるような複雑な音色とリズムの組み合わせではよく分かると思います。現状、このような音楽はマルチチャンネルのインスタレーション以外ではヘッドフォンでしか聴けないと言えるでしょう。

─ヘッドフォンを使わないと聴けない音楽、というのは不思議ですよね。

僕はマルチチャンネルを駆使して音で空間を作るような、本当にそこに行かないと聴くことができないものか、iPodのように携帯できてどこでも聴けるというものの両極に興味があります。というかその両極しか残らないと思っています。だから24チャンネルのインスタレーションとして作られた「filmachine」をヘッドフォン専用の『filmachine phonics』として発表できるのはいいな、と思いました。

Profile

渋谷慶一郎

音楽家。1973年生まれ。東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。’02年、音楽レーベルATAK設立。’04年にソロアルバム『ATAK000 keiichiro shibuya』をリリース。現在までに作曲家・高橋悠治やメディアアーティスト・藤幡正樹らと共同作業を展開しており、池上高志(複雑系研究/東京大学 助教授)とは’05年から非線形物理学の応用による「第三項音楽」をスタート。音楽/科学を横断する本格的なコラボレーションとして注目を集めている。'06 年にはYCAMにおいてサウンドインスタレーション“filmachine”を発表。’07年にはそのヘッドフォン・バージョン『ATAK010 filmachine phonics』を世界初のヘッドフォン専用・三次元立体音響CDとして発表。リリースと同時にコンサートツアーを行い「まるで聴覚を再構築されているような体験。間違いなく、いま彼は電子音響のカッティング・エッジの切っ先に躍り出た。」(佐々木敦)と評される成功を収めた。また’06年には東京大学、’07年には東京芸術大学の非常勤講師を勤める。

渋谷慶一郎公式サイト

Information

ATAK010 Filmachine Phonics
Keiichiro Shibuya

ATAK010 Filmachine Phonics
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