戦後の混乱が終わりつつあった昭和30年代、山口組は田岡一雄三代目組長の号令一下、全国制覇を目指し侵攻作戦を開始した。その手始めは、田岡三代目の故郷・徳島。侵攻を指揮したのは当時33歳の男盛り、若頭の地道行雄だった。地元組織の抗争に介入した地道は山口組組員を現地に大量動員、地元組織だけではなく、その上に君臨する神...
語られなかったエピソード・ゼロ 80年代初め、東と西の「境界」はいかにして崩れたか? 知られざる最初期の拠点選びから単独隠密行動、そして拡大まで。 「シマ荒らし」はいつも静かにはじまる――。 【縄張り】正当な権原がないのにもかかわらず、自己の権益の...
昭和56(1981)年夏、東京。日本最大のヤクザ組織・山口組三代目組長、田岡一雄(享年68歳)の葬儀が盛大に営まれた。そこには同業者のみならず、勝新太郎、鶴田浩二など昭和の銀幕を代表する数多くの大スターに混じって、あの戦後最高の歌姫・美空ひばりも駆けつけ、遺影の中の田岡に向かって万感の想いを込めて弔辞を送った。...
昭和33(1958)年2月10日深夜。大阪飛田新地——日本の暴力地図を一気に塗りかえた伝説の大激闘の幕が切って落とされた。当時、やくざ者でさえも恐れをなし震え上がった凶暴集団・鬼頭組の荒くれ者100人に対し、たった8人で斬り込んだ男たち……それを率いたのが、”マテンの黒シャツ”こと柳川次郎であり、この日本の暴力...
日本を代表する暴力団・山口組は当代(代々名を継ぐ地位の今の代のこと)を関西土着の組長の中から出すのが、長い間の不文律であった。だが平成元年 詳しく見る この作者の本
いま、日本最大の暴力団で何が起きているのか? 分裂、再分裂を繰り返す山口組が抱える「恨みつらみ」の相克30年史と若き改革者・織田絆誠任侠山口組代表の実像と野望に迫った、著者だけが書けるヤクザルポの極北!